冬が深まるにつれ、街の至るところで「生牡蠣」の文字を目にするようになります。

そのクリーミーで濃厚な味わいは、まさに海の至宝。

海のミルク。

私も北海道のおいしい生ガキ(生牡蠣)を食べたことがあります。

忘年会や新年会、あるいは大切な友人との食事会で、大皿に盛られた生牡蠣が運ばれてくるシーンは、冬の風物詩とも言えるでしょう。

しかし、潰瘍性大腸炎(UC)と診断されてから5年以上が経過した今、私の選択は常に一貫しています。

「どんなに勧められても、生牡蠣は口にしない」

これは単なる個人の好みの問題ではありません。30代という、人生においても仕事においても「守るべきもの」が増えた時期だからこそたどり着いた、合理的なリスク管理の結果なのです。


1. UC患者にとっての「ノロウイルス」は、単なる食中毒を超えた脅威

生牡蠣を避ける最大の、そして避けて通れない理由は「ノロウイルス」への強い警戒です。

ノロウイルスは、ごく少量の粒子が体内に入るだけで爆発的に増殖し、激しい嘔吐、下痢、高熱を引き起こします。

健康な人であれば「数日間、ひどい目にあった」で済む話かもしれません。

しかし、私たちUC患者にとって、それは「人生の歯車を狂わせる引き金」になり得ます。

「感染性腸炎」が招く炎症の再燃:

ウイルスの攻撃によって傷ついた腸粘膜は、過剰な免疫反応を引き起こしやすくなります。これがきっかけとなり、落ち着いていたUCの炎症が再び燃え上がる「再燃」を誘発するケースが少なくありません。

「判別不能」による治療の遅れ:

下痢や血便が始まった際、それが「一時的な感染症」によるものなのか、「持病の悪化(再燃)」によるものなのか、医師でも即座に判断を下すのは困難です。その結果、適切な処置が遅れ、炎症が広範囲に広がってしまうリスクを常に孕んでいます。

激しい脱水と体力の消耗:

もともと腸の吸収機能が不安定な私たちにとって、ノロウイルスによる激しい下痢は、短時間で深刻な脱水症状を招きます。それは容易に入院レベルの事態へと発展しかねないのです。


2. 「鮮度」という言葉に潜む、根拠のない安心感

居酒屋や料亭で「朝水揚げされたばかりの生食用だから、絶対に大丈夫ですよ」という言葉をかけられることがあります。

30代になり、少し良いお店に行く機会が増えると、こうした「自信満々の勧め」に出会うことも多いでしょう。

しかし、ここで冷静に知っておかなければならないのは、ノロウイルスは牡蠣の鮮度とは無関係であるという事実です。

ノロウイルスは牡蠣が生きている間に、海水中のプランクトンと共に体内に取り込まれ、蓄積されます。

どれほど新鮮であっても、どれほど衛生管理が徹底された水域であっても、生食である限りリスクを「ゼロ」にすることは科学的に不可能です。

私は、この「鮮度神話」というギャンブルに自分の健康を賭けることはやめました。

一瞬の味覚の満足感と、その後に数週間、数ヶ月続くかもしれない再燃の苦しみ。

その両者を天秤にかけた時、答えは明白だったからです。


3. 社会人としての責任と「断る勇気」

30代は、キャリアにおいても重要な時期です。

大きなプロジェクトの最中や、部下の育成、家庭の責任など、突発的に1週間以上も動けなくなることは、自分だけでなく周囲にも多大な影響を及ぼします。

会食の席で生牡蠣を断るのは、最初は気が引けるかもしれません。

「付き合いの悪い奴」と思われるのではないか、という不安もかつてはありました。

しかし、今の私はこう考えています。

「自分の体調管理を徹底することこそが、プロフェッショナルとしての誠実さである」

「お誘いありがとうございます。本当に美味しそうですね!ただ、私は腸に持病があり、主治医からノロウイルスへの感染は再燃(病状悪化)の直結すると厳しく言われているんです。今日は万全を期して、火の通った美味しい料理をたくさんいただきますね。」

このように、「医学的な理由」と「自己管理の意志」をセットで伝えるようにしています。

正直に話すと、多くの方は「そうだったんだ、無理しちゃダメだよ」と、むしろこちらの体調を尊重してくれます。


4. 「加熱」によって得られる、本物の平穏と喜び

生牡蠣を「卒業」したことは、食の楽しみを失うことではありませんでした。むしろ、「不安を感じずに食事を楽しむ」という、最高のご馳走を手に入れることでした。

中心部までしっかり加熱された牡蠣料理は、UC患者にとって非常に優れた栄養源になります。

85~90度で90秒以上の加熱を徹底すれば、ノロウイルスのリスクはほぼ消失します。

「これを食べたら明日お腹を壊すかもしれない」という不安を抱えながら食べる生牡蠣よりも、心から「美味しい!」と笑って食べられる加熱調理された牡蠣の方が、今の私にとっては遥かに価値があるのです。


おわりに:自分の「暮らしのカタチ」を自分で決める

潰瘍性大腸炎という病気と共に生きることは、時に多くの制限を受け入れているように感じるかもしれません。

しかし、「食べない」という選択を自ら行うことは、制限ではなく、自分の人生を自分でコントロールしている証(あかし)です。

自分の弱点を理解し、不要なリスクを遠ざけ、その分、安全な領域で最大限に食事を楽しむ。

それこそが、私がこのブログで伝えていきたい「お腹に優しい、暮らしのカタチ。」の真髄です。

もし、今この記事を読んでいるあなたが、会食の席で迷っているなら、どうか自分のお腹の声を一番に聞いてあげてください。

あなたの明日の元気な笑顔に勝るものは、どこにもないのですから。